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高機能自閉症,アスペルガー症候群を知ってほしいな

自閉症スペクトル・高機能自閉症・アスペルガー症候群って何?

(1)高機能自閉症・アスペルガー症候群って何?

 脳の中枢神経系の機能的障害によって、見る、聴く、さわる、嗅ぐ、といった知覚を理解したり、周囲のできごとを見たり、聞いたりして、そのできごとの意味を知る機能(認知といわれる脳の働き)の障害となり、一部の精神機能の発達に遅れやかたよりが生じる発達障害です。そのために、人とうまく関わることがうまくできなかったり、周囲から見て普通しないと思うような行動を取ったり、社会生活でうまく適応できないことがあります。ただし、古典的自閉症と比較すると明らかに知的に高いか、もしくは通常で、適応も比較的できるのが高機能自閉症・アスペルガー症候群(以下、このページではアスペルガー症候群で統一します)のひとたちです。いまはまだその原因は、脳の一部の機能の障害であるという以外は、あまり明らかになっていません。障害というよりは、独特であるといったほうが理解しやすいかもしれません。なぜなら、一般のひとの障害のイメージの範疇に入っていないことが多いからです。

アスペルガー症候群・高機能自閉症といった自閉性障害には主に以下の3領域に渡る障害があります(「三つ組みの障害」と呼ばれています)。
<基本症状1:人との関わりの問題>

  ひととの関わりがスムーズにいっていない状態です。社会的行動からみて大きく3タイプに分けることができます。同じ年齢の人たちを比較すると1番より2番、2番より3番がより自閉性が高いことになります。また、成長の過程で形作られた性格・人格によっても行動はずいぶん変わってきます。その行動が発達障害の由来でも、性格・人格の由来でも、同様の行動がみられることがあることを前提としておかないと、いい加減な障害の当てはめをしてしまうことになりかねません。同時にそのことは、障害やそのひとが抱えているものを見えにくくすることになります。そして、どれだけひととの関係が作れるか、コミュニケーションがとれるかは、発達していくにしたがって改善されていきますが、どの程度まで変化するかはその子どもの障害の程度によって違います。

1)積極・奇異群
たとえば…
▼いさむ君が教室にいると、あきお君がやってきました。今日は初めて会ったので、いさむ君は「よぉ!」とあいさつしました。あきお君はこちらに向かっては来てるのですが、声をかけたのに視線が合いません。そして近寄ってきたかと思えば、いきなり電車のことを語り始めました。いさむ君は戸惑っています。いさむ君は思います(…あきお君はなんで僕に電車のことをこんなに熱心に話してくるんだろう?電車の型番(?)みたいなものやら名称やら時刻を言ってるみたいだけど、さっぱり分からないぞ。しかも前もその前も同じ事を聞いたぞ。確かに、僕は電車で通学しているけど、そもそも電車になんか興味がないのに…)。いさむ君は、はじめは目は相手の動きを追うようでしたし、うなづいたり、身体的にいろいろ自然に表現がありましたが、今や、目も口も、手足もまったく動きがありません。つまりその話には関心がない、うんざりということをあからさまに表わしてるのですが、あきお君には伝わりません。そのうちあきお君は一方的に話したと思えば他へ行ってしまいました。いさむ君は、(あきお君は結局僕に何がいいたかったんだろう?)と不思議に思うと同時に、もうあきお君とは関わりたくないと思いました。なぜなら、この会話のなかであきお君は全く楽しくなかった上に、自分の態度表明が全く受け入れられていないと感じて不愉快になったからです。

▽このタイプのひとは、他人に積極的に関わっていこうとします。なので自閉症の一般的なイメージとは違う印象を受けます。ですが、何かを要求したり、質問を投げかけたり、自分の関心事を独特の一方通行で延々と述べるだけだったりする点はやはり自閉的傾向の現れです。話し相手は、話を聞いてくれる年上の人が多く、同じ年代のひとたちとはあまり話そうとしないかもしれません。逆に、見知らぬひとにでもいきなり意図の分からない質問をするひともいるかもしれません。

  ふつう、話し相手が自分の話していることに興味を持っているかや、理解しているかどうかはとても気になります。気になるので確かめます。確かめる方法はあります。相手の言葉や表情、身振りなどの反応を観察し分析するのです。また、会話の内容や話し振りを相手によって使い分けることを自然にやっています。仲良しの友だちと、年上の人とに同じ内容のことを話すとして、話し方を同じようにすることはまずできません。それぞれの相手にはそれぞれの話題にしようとしている事柄への興味や知識の度合いや、話し手への関心の度合いがあり、自分も他人から見ればその一人であることを理解しているからです。ですから、相手の話に対しては「私はその話に興味があるよ」とか「おもしろい」、「よくわからない」、「つまらない」といったサインを送ります。話の間に合わせて「うん、うん」と言いながら、うなずくのが一番頻繁にする行動でしょう。逆にウソのサインを送ることもします。場の雰囲気を悪くさせないためや、関係を円滑にさせるために、本当は面白くないのに、面白いと思っているフリをする場合もあります。自分の方も相手が本当に興味を持って聞いているかが気になるので、確かめようとします。そういった表面の言葉プラス相互のやりとりのなかで会話は行われていることを理解することに困難があります。同じように表情は、そのサインのうちでも特に重要なものの一つですが、自閉的傾向があるひとはその表情が適切ではないかもしれません。たとえば視線においては、視線が合わなかったり、逆にじーっと見ていたり、表情が無かったり、にらんでるように見えたり、大げさに思えるようなものだったりする場合もあります。

2)受け身群
たとえば…
▼うみちゃんはクラスでとても目立たない子です。いつもひとりでいて人に話しかけるのを見かけることがありません。周囲の子たちが話しかけると、何を言うわけでもありませんが、にこにこして聞いています。頼み事をすると、嫌がることもなく引き受けてくれます。ですから、周囲には恥ずかしがり屋さんなんだとか、引っ込み思案なんだと思われています。
 遊んでいる様子をよく見てみると、なんとなくぎこちなく見えます。ビクビクして周囲の様子をうかがっているいるように見えていたので、以前は、クラスや家庭で何か問題があるのではないかと疑っていました。しかし、遊びのルールを同年齢の子たちが把握しているのに対し、どこか本質的な部分をよく分かっておらず、他の子を見ては後から真似ているのが端々に見られることがわかりました。また、うみちゃんは質問をすると、黙ってしまうことも多く、ときどき的外れな返事が返ってきます。このようなことから発達的な遅れを考える必要があると思うようになりました。

▽おとなしく目立たず、要求もしてこないので、先生に忘れられがちです。幼稚園のころには、ごっこ遊びや走り回ることがメインの遊びなので、いっしょに遊ぼうと声を掛けてくれる子がおり、声を掛けられると一緒に楽しんでいるようです。ですが、一見何人かで遊んでいるように見えるのですが、一人遊び(平行遊び)になっていたり、途中でどこかへ行ってしまうかもしれません。会話においては、他の子どもたちも、まだ一方的に話しかけていれば満足しているところがあるので、応答がなくてもそれなりに混ざって遊ぶことができます。しかし、しだいに成長していくにしたがって、遊びの中での会話の役割は大きくなっていき、固定されたグループで遊ぶことが多くなります。応答性の乏しい子は、一緒にいても面白くないと思われ次第にグループから外されて寂しい思いをするかもしれません。

  にこにこするのは、経験的にその表情をすることがその子のもつ唯一の外部との関係を円滑にする手段であり、その子の中では感情とのギャップを感じているのかもしれません。また、言われるままに従う子の場合、無理な注文を押しつけられたり、利用されるかもしれません。最悪、いじめのターゲットになる可能性も高いことになります。発達障害や心理的問題を抱えていたとしても、目立たない子どもはその問題に気づかれにくく後回しにされがちなので、適切な時期に適切な環境や援助が与えられず、思春期やそれ以降になってからようやく気付かれたときには、心理的な傷付きや乏しい自己肯定感、他者への不信を抱えているということになりやすいので、どれだけ早く気付けるかが重要になるでしょう。さらには、ずっと気付かれずに成人し、独り生きにくさを抱えているかもしれません。

3)孤立群
たとえば…
▼えいじくんには、お気に入りの飛行機のおもちゃと本があります。保育園にくると、必ず一番に飛行機を手に取り、いつも同じテーブルでずっと走らせます。もう数ヶ月は同じ遊びを繰り返しています。ただおもちゃを走らすだけでは楽しくないだろうと、保育士が飛行場を紙で作り一緒に遊ぼうとして、「これ飛行場だよ」と置きました。すると、「どけて」と言いすぐにグチャグチャに丸めてしまいました。クラスの他の子たちが「えんていでコオリオニしよう」声を掛け合っています。えいじくんにも「えいじくん、いっしょにあそぼう」と声を掛けましたが、声の方を振り向くこともなく飛行機を走らせています。他の子たちは外へ出て行きました。そのうちえいじくんは、飛行機を置いて、絵本の場所に行き、お気に入りの本を見始めました。世界の国旗が載っている本です。この本は他の子は興味を示さないので、ほぼ
この子専用の本です。保育士が「この国旗はどこの国?」と質問をするとことごとく正解します。このようなやりとりをしていると、他の子どもたちも集まってくるので、クイズを出したりする中で、他児との関わりを持たせようと思っています。

▽孤立群の子どもは、ひとり遊びに没頭します。重度の自閉性障害である場合、これがずっと継続します。しかし比較的軽度の自閉性障害である子どもも小さな頃は同じような状態の場合もあります。他者の存在に関心がないように見えます。ですが、視界に他の子どもが入ってくるなどして自分の世界を壊されそうになると、叩いたり突き倒したり激しく抵抗を示すかもしれません。集団で行動するときも合わせることが難しいので、わがままだとか自分勝手だと思われがちです。また、その様子をみて、他の子がマネることもあり、ひとりの保育者だけでは収拾がつかなくなるかもしれません。たとえ感情を込めて伝えても、普通に言うのと違いはありません。急に今していることを中断されたり、怒鳴られたりするとパニックを起こすかもしれないので、逆効果です。しかし、いつまでも本人に任せて行動してたのでは社会性は発達しませんから、徐々に変化することに対する抵抗感を減らしていけるような働きかけをすることがその子にとって望ましいものだと思います。

※どのように成長していくかについては、もう少しお待ちください。。

<基本症状2:コミュニケーションの問題>

<基本症状3:想像力の問題>


(2)イメージするということ


  ひとは見て、聞いて、感じて、意味づけたものを情報として積み重ねて、記憶から探し出し映像やことばを引き出す脳の機能を使ってイメージを創りだし考えます。この情報処理能力がまさに認知という機能です。イメージに頼って考えるということは、イメージが異なれば考えることも異なるということですね。それは自閉性が有ろうが無かろうが同じことです。ひとは自分を基準にして考えることしかできないなかで、世界を共有しながら生きていけるのは、ある程度は共通した認知をしているからです。もし、認知の仕方が異なるのならば、同じものを同じように見たり聞いたりしていないかもしれませんし、解釈や感じ方も異なるかもしれませんし、一見同じようにみえる経験をしても、経験したことは違う可能性があることは想像が付きますよね。その異なり方を認識せずに、自分を当然のように基準にしてしまうと、きっと食い違いが生じるでしょう。アスペルガー症候群のひとには世界がどのように見えているかを知ることが、アスペルガー症候群を理解するためには大切なのだと思います。

(3)自閉症に対する世間の誤解

★よくされる誤解について…自閉症は引きこもりとは違います
 まず、古典的自閉症について記しておきますね。自閉症ほど単語は広く一般に知られているにもかかわらず、大きく誤解されている障害は無いのではないでしょうか。自閉症=ひきこもりだと勘違いしているひとが多すぎます。僕の心理学や障害児教育を学んでいる以外の友だちに質問すると、今のところ誤解率100%です。自閉症とひきこもりは全く異なります。勘違いの原因は自閉という言葉のニュアンスのせいです。「自分の中に閉じこもっている」とか「自ら閉じこもる」というふうに解釈してしまっているようです。確かに、自閉的傾向のあるひとがひきこもりになることはあるし、家で過ごすのが好きというひとはいます。でも、それはひきこもりとは別の話です。ひきこもりは自ら社会から断絶しているひとたちのことで、ひきこもっているひとが自閉症になるとか、ひきこもりは自閉症だという事実はありません。(ひきこもりについては、これはこれで深刻ですが、また別の機会に考えたいと思います。)

★よくされる誤解について…親の育て方が悪かったのではありません


★よくされる誤解について…なんでも障害のせいではありません

★よくされる誤解について…発達していくにしたがって障害の姿はかわります

★よくされる誤解について…犯罪とは直接結びつきません

(4)アスペルガー症候群をめぐる短い歴史

 古典的自閉症はカナーという児童精神科医によって1943年に初めて紹介されました。なので古典的自閉症をカナー型自閉症と呼ぶことがあります。カナーは知的障害を抱えているひとたちの中に、他のひととの相互の交流が限られており、固執した行動などが共通に特徴的にあるひとがいることに気付きました。一般に、自閉症というと、このカナー型自閉症を指します。カナー型自閉症のひとはしゃべることができなかったり、ことばを相互のコミュニケーションに使うことがあまりできません。

  そして翌年、アスペルガーという小児科医によって、カナーの報告と似たような報告がなされました。ただしアスペルガーの報告とカナーの報告には、少し違いもありました。しかし、先に出たカナーの論文が注目され、アスペルガーの論文は注目されませんでした。その後1981年にローナ・ウィングは、その当時の自閉症の診断基準全てには当てはまらないけれども、部分的に当てはまる子どもが自閉症と診断される子どもの数倍いること、その子どもたちは、知的にも、言葉の辞書的意味の理解にも顕著な問題がないにもかかわらず、人との関わりやコミュニケーションで適応に問題がみられること、そしてそれらがアスペルガーの報告に一致することに気づいたのでした。そして、アスペルガー症候群という呼ばれ方ができました。このように、カナー型自閉症とアスペルガー症候群は連続的なものであるという考え方が現在はなされるようになりました。また自閉症でないひとともやはり連続的な関係にあるのです。

ウイングの意図はアスペルガー症候群も広義の自閉症に含めることで、自閉症に特化したサービスを受ける範囲を拡大しようという点にあります
(高機能自閉症・アスペルガー症候群入門より)

 最近では、高機能自閉症・アスペルガー症候群のひとたちが自伝を出版するようになり、本人の語りからその感覚世界が明らかになってきました。本以外では、「レインマン」という映画が有名になり、「君が教えてくれたこと」というドラマも話題になりました。テレビでもときどき自閉症関連の特集が組まれています。障害児教育や心理学のコーナーがあるくらいの大きさの本屋なら、何冊かアスペルガー症候群関連の書籍が見つかりますよ。映画やドラマはレンタルできます。

<参考>

●これまでに出版されているアスペルガー症候群・高機能自閉症のひと自身が書かれた自伝
タイトル 著者 翻訳者
自閉症だったわたしへ ドナ・ウィリアムズ 川野万里子
こころという名の贈り物―続・自閉症だったわたしへ ドナ・ウィリアムズ 川野万里子
ドナの結婚―自閉症だったわたしへ ドナ・ウィリアムズ 川野万里子
私の障害、私の個性。 ウェンディ・ローソン ニキ・リンコ
ずっと「普通」になりたかった。 グニラ・ガーランド ニキ・リンコ
変光星 森口奈緒美  
平行線 ある自閉症者の青年期の回想 森口奈緒美  
ぼくのアスペルガー症候群−もっと知ってよぼくらのことを− ケネス・ホール 野坂 悦子
アスペルガー的人生 リアン・ホリデー・ウィリー ニキ・リンコ
我、自閉症に生まれて テンプル グランディン カニングハム 久子
自閉症の才能開発―自閉症と天才をつなぐ環 テンプル グランディン カニングハム 久子

●映画・ドラマ

『レインマン』 1988年 アカデミー作品賞など受賞
 主人公のチャーリー(トム・クルーズ)は、経営していた会社が倒産寸前。そのとき絶縁状態だった父親が死んだという知らせが入る。300万ドルの遺産を当てに故郷に帰ったが、相続人はチャーリーではなく、施設に入っている自閉症の兄レイモンド(ダスティン・ホフマン)だった。チャーリーは、兄の存在すら知らなかった、正確には幼いころの記憶が抜け落ちていた。チャーリーは何とか遺産を手に入れようとレイモンドを無断で施設から連れ出す。ロサンゼルスに飛行機で行こうとするが、兄はどの航空が、いつ墜落したと全て覚えており拒否する。飛行機の飛び立つ音にパニックを起こす。決まったスーパーの下着でないと落ち着かない。決まった日には決まったメニューでないと安心しない。信号機に「Don't walk」と出れば道の途中でも止まってしまう。そんな道中にチャーリーは、あることから辛かった子どものころ、安らぎをくれた「レインマン」がレイモンドであったこと、レイモンドが施設に入れられた理由を知る。このような二人の旅と生活のなかで、レイモンドはチャーリーを近くにいるひととして認識するようになった。チャーリーにも兄弟としての感情のようなものが芽生え始めていた。チャーリーは、レイモンドと共に暮らしていくことを願うが・・・。この映画によって、アメリカでは自閉症に対する理解が一気に10年進んだ
と言われているそうです。

『君が教えてくれたこと』 2000年 TBS系ドラマ ビデオは全4巻
 繭子(ともさかりえ)は、コンピューター専門学校を中退して、就職が決まらずにいた。弟の潤(藤原竜也)繭子のよき理解者であり心配をしている。繭子には特技があった。天気を的中させることである。日課の散歩に出かけては、いろいろと観察しその後の天気を予想する。ある日、雨のなかの散歩中に、キラキラと光るキーホルダーが繭子の眼に入り思わず手を伸ばすが、そこへ自転車が突っこんできた。そのキーホルダーの持ち主−雨宿りをしていた男−は、元精神科医だったが、あることをきっかけに医師を辞め現在は予備校講師をしている慎一(上川隆也)であった。

 代議士の水島(宅麻伸)が、繭子の父親(加藤茶)を仕事の関係でパーティーに呼んだ。そのとき繭子も一緒に来るように言われた。その理由はパーティに行きはじめて分かる。スピーチで水島自身の福祉に対する熱意をアピールするために仕組まれたものだった。いきなり名前を紹介される繭子。彼女は高機能自閉症だとそこではじめて告げられる。拍手の音と、カメラのフラッシュによるパニックになる。慎一は、周囲のひとを繭子から離れさせ、繭子を落ち着かせる。(第一話)

詳しくは、こちらのドラマのHPを見てくださいね。

*パーティ会場の外に連れ出したあとの会話(「君が教えてくれたこと」武田百合子 より抜粋)

「知らなかったんだよね」
「……」
「君は、自閉症だ。高機能のね」
「自閉症?高機能?」
「つまり……知的障害のない自閉症だ」
「知的障害のない自閉症……」
「そうだよ」
言いながら、 慎一はかすかに笑った。その笑いに、精一杯の尊重の意味を込めたのだが、繭子はそうは受け取らなかったようだ。
「あなたは私をバカにしています」
「してないよ」
「じゃあ笑わないで」
「わかった」
「……私はずっと自分だけが人と違うのかと思っていました」
「そんなことはないよ」
「私はずっと友達ができませんでした」
「君のせいじゃないよ」
「私はずっといじめられてきました」
「君のせいじゃない」
「私は自分のことを悪い人間だと思っていました」
「君は悪い人間なんかじゃない」
「……」
「君はひとりじゃない……」
「約束しよう。君はひとりじゃない」
「私は……ひとりじゃない」


(5)何も特別ではない

 これまでに、自閉的な傾向をもつひとに出会ったことはありますか?あなた自身は、自閉的な傾向がありますか?どのくらいの割合で自閉性障害のひとはいるのでしょうか。人口におけるその症状をもつひとの割合を有病率といいますが、自閉症に関しては定義があいまいであったり、最近になって、これまでより軽微なものも広い意味での自閉症に含まれることが明らかになったので有病率も変動してしまっています。

診断名
どれくらいの割合でいるのか
日本全体での人数
カナー型自閉症
22〜60人/1万人
26万〜72万人/日本
アスペルガー症候群
36〜60人/1万人
43万〜72万人/日本
自閉症スペクトル全体
58〜120人/1万人
70万〜144万人/日本


 このように確実ではないのですが、2003年現在では200人に1人くらいの割合でアスペルガー症候群のひとはいるのではないかというのが研究者の間でのだいたいの意見です。自閉性障害と考える必要があるひとが100人に1人の割合いるのであって、気質・性格(個性)の範疇で収められているひとを含めるともっと多くいることになります。児童で考えると、重度から境界の自閉性障害をもつ子ども(自閉症、高機能自閉症、診断名は付いていないが自閉的傾向を伴う知的障害と診断された子ども)は、養護学校や障害児学級に通っています(障害の程度やその地域や家庭の事情によって違いはあります)。それ以外の子どもは普通学級にいます。中には普通学級に通いながら、情緒障害児短期療育施設など別の施設に通っている場合もあります。200人に1人いるということは、40人学級が4クラスある小学校があるとすると、1学年に1人くらい、全学年で5人くらいアスペルガー症候群のひとはいるということです。

 自閉症であるひとの割合には性差があります。女性よりも男性のほうが割合が多く、1:4程度だと言われています。なぜ男性の方が人数が多いのかはわかっていません。女性の方が社会に順応する力が本能的にあるから、障害が見えにくく、重度の自閉性障害の場合が目立つのではないかという仮説があります。また、男性の方が、攻撃性の高さが問題行動として見えるかたちで現われるからだという仮説もありますが、明らかになっていません。

 最近になって、日本においても、普通学級にいる生徒の中に、特別なサポートを受ける権利をもつ子どもがいることが明らかになってしばらくたったので、国は対応を考え始めるようになりました。アスペルガー症候群(自閉的傾向のある子ども)、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)が主なもので、軽度発達障害と呼ばれています。それぞれに合った、発達が保障された環境に向かっていくはずです。そうならなければなりません。それと同時に、一般のひとたちにも軽度発達障害が知られ始めるでしょう。特別な対応がいるかもしれないからといって、何も特別なことはない。少し独特な特性を持っているだけで、それは半分偶然のしわざで彼・彼女がそれを持つことになっただけのこと。でも今まで知らないまま、どうすればいいのかわからないがうまくいかない・できないと感じていたひとは、原因が明らかになったとき何を思うのでしょうか?「脳の障害」という響きに同級生は何を思うのでしょうか?親は何を思うのでしょうか?周囲は?分かりません。しかし、どれだけ理解しているかは、一つのカギになるのではないでしょうか。

 
また、成人においては、研究がほとんどされていないのが現状です。そしておそらく、アスペルガー症候群にも当てはまらないけれども、自閉的な傾向があるひとがさらに多くいるのではないかと思います。おそらくこのひとたちは、障害とは診断されないと思いますが、単に気質とか性格や人格といってしまっては解決しない問題を含んでいます。ここで問題としているのは、たとえば昔のどうでもいいことを日付から詳細に覚えているとか、何か妙に強いこだわりを持って生きているとか、そういった特徴があるということではなくて、対人関係や集団生活に支障をきたしているひとのなかに、自閉性が性格や人格に特徴づけられている場合のことです。このとき、自閉性との連続で考えていく視点が必要となるのではないかと考えています。それに、自閉性という見方をするならば、診断名のイメージにとらわれず自分という存在と連続的に考えることができるのではないかと思います。

(6)似たような診断名

似たような診断名がいろいろあって分かりにくいので整理します。覚える必要はないですが、その一部の言い方しかしないひともいますから、